日本で〝南無阿弥陀佛〟が一気に広まった鎌倉時代浄土宗を開いた法然(1133年 - 1212年)の教説に対して強く異議をとなえたのが日蓮聖人(1222年 - 1282年)です。釈迦牟尼仏こそが五濁悪世の娑婆世界の衆生を救済すべく請願を立てた仏であり、阿弥陀佛は末法の衆生とは全く縁の無い仏であると

法然が師とした中国浄土宗第三祖、善導(613年- 681年)が説く教説を〝仏説〟から完全に逸脱したものとして法義を示して論破します。

『観無量寿経』の代表的な注釈書としては浄影釈『観経義疏』、智顗釈『観経疏』、吉蔵釈『観経義疏』などがありますが、善導の『観経疏』はそれらのものとはかなり内容が異なっております。

浄影(523年 - 592年)の『観経義疏』(※観経は観無量寿経の略)では、浄土について次のように書かれております。

土有麁妙。麁處雜小妙處唯大。又復麁國通有分段凡夫往生。妙土唯有變易聖人。彌陀佛國淨土中麁。更有妙刹此經不説。華嚴具辨。

【現代語訳】
浄土には粗末な処と優れた処が有り、粗末な国土には共通して分断生死があり、凡夫が往生する。優れた国土はただ変易生死の聖人のみが有る。阿弥陀国は浄土の粗末な処である。さらに優れた国土が有るがこの経(※観無量寿経のこと)には説かず、『華厳経』に詳しく説かれている。

要約しますと、粗末な国土には分段生死があり、優れた国土には変易生死があってこのことは『華厳経』に詳しく説かれているとのことです。

まずは、「分段生死と変易生死」について説明致します。

分段生死と変易生死の二種生死は、『勝鬘経』(しょうまんぎょう)の中で説かれておりまして、中期大乗仏教経典のひとつであるこの経典は、あまり知られてはおりませんが、『維摩経』とともに古くから在家のものが仏道を説く経典として用いられ、聖徳太子もこの経典の注釈書を『勝鬘経義疏』と題して著しております。

その『勝鬘経』に次のように書かれてあります。

「二種の死有り。何等をか二と為す。謂く分段死と不思議変易死となり。分段死とは謂く虚偽衆生、不思議変易死とは謂く阿羅漢、辟支仏、大力菩薩の意生身、乃至、無上菩提を究竟するなり」

分段生死とは、「肉体の寿命」という限りがある中での〝凡夫の生死〟で、変易生死は、五蘊から離れることで限りがなくなり自在に変化改易できる阿羅漢(声聞)、辟支仏(縁覚)、菩薩等の不可思議な生死のことを言います。

そして『観経』で説かれている〝西方往生(西方極楽往生)〟は、この分段・変易のいずれであるかを吉蔵(549年 - 623年)が自身の『観経義疏』の中で問い、両方の立場の説明をしたうえで、吉蔵自身は分段生死の立場をとられております。『浄土論』を顕した迦才(七世紀中頃)も「西方は是れ分段生死なり。云何が、変易を受くる菩薩をして却って分段を受けしめんや」といい、西方往生を分段死であると主張します。それに対し善導は自身の『観無量寿経疏』の中で

「浄土の中の一切の聖人は、皆無漏を以て体とし、大悲を用とす。畢竟常住にして分段の生滅を離れたり」

と、西方浄土は分段生死を離れた処であるといった我説を説きます。

 <西方極楽浄土とは>
 浄影、智顗、吉蔵、迦才=分断死によって生じる国土
 善導の我説=分段生死を離れた国土

また、『観無量寿経』では、〝九品往生〟が説かれておりますが善導の師で中国浄土宗第二祖である道綽(562年 - 645年)は、『安楽集』の中で、次のように言っております。

道綽撰『安楽集』 
十方淨土雖皆是淨而深淺難知。彌陀淨國乃是淨土之初門。何以得知。依華嚴經云。娑婆世界一劫當極樂世界一日一夜。極樂世界一劫當袈裟幢世界一日一夜。如是優劣相望乃有十阿僧祇。故知爲淨土初門。是故諸佛偏勸也。餘方佛國都不如此丁寧。是故有信之徒多願往生也。三彌陀淨國既是淨土初門。娑婆世界即是穢土末處。何以得知。(中略)然娑婆依報乃與賢聖同流。唯此乃是穢土終處。安樂世界既是淨土初門。即與此方境次相接。往生甚便。

十方の浄土はすべて清らかであり浅い深いは知り難いとはいえ、阿弥陀の浄国は浄土の初門である。そして『華厳経』に依り極楽浄土が浄土の初門であり娑婆と境次相接しているから往生が容易であると論じている。この道綽の説示をみると、十方浄全てが清浄であることを示しつつも、浄土の優越に関しては「深浅難知」とし、さらに娑婆世界と境次相接しているから往生に便利であるとするのである。

また、平安時代後期の珍海(1091年 - 1152年)は、『決定往生集』 の中で、

珍海撰『決定往生集』
問。若爾何故雙卷經説佛本願云。令我作佛國土第一。其衆奇妙道場超絶。國如泥洹而無等雙。又説彼國土相云。微妙奇麗清淨莊嚴超踰十方一切世界衆寶中精。(云云) 經説既爾。何云最劣 答。於諸凡夫事淨土中。安養國土最爲殊勝。若望諸餘純聖佛國還是下劣。故不相。

「無量寿経」に、阿弥陀佛の浄土はあらゆる世界で最上であると説示されているのに、どうして最も劣ったところであるというのかという設問に対し、凡夫往生の浄土としては極楽浄土が最も優れているが、聖者のみの浄土と対比すると劣った所となる。故に経文と矛盾しないと説明している。

12.観無量寿経(その③)へ続く
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