阿弥陀佛とお釈迦さまの過去世における因位を明かした『悲華経』(419年 曇無讖訳)という経典があります。
その昔、阿弥陀佛が過去世で無謝念王であった時代、お釈迦さまは宝海梵志(釈迦の過去世)という大臣をしておりました。その宝海梵志の子が真理を覚り真如の世界に入って宝蔵如来となり、無謝念王に仏の教えを説いて聞かせます。
無謝念王=阿弥陀佛の過去世での姿
宝海梵志=釈迦仏の過去世での姿
宝蔵如来=如来となった釈迦の子供
浄土に生まれ出ることを〝浄土成仏〟と言いますが、無謬念王は浄土成仏の誓願をおこして宝蔵如来より将来、無量寿如来(阿弥陀佛)となることを授記されます。また無謹念王の千子も菩提心を起こして、浄土での成仏を願い、さらに宝海梵志の子弟等も菩提心を起こして浄土成仏を願います。しかし皆、貧・瞑・痴の薄い機根の良い衆生が生まれ出る時代ばかり選んで、五濁悪世の衆生の救済はかえりみようとしません。そこで宝海梵志はただ一人、五百の誓願を発して五濁悪世の繊土に成仏することを願い、宝蔵如来はこれを讃えて将来、娑婆世界に釈迦牟尼仏として成仏すると授記します。
浄土三部経は、この釈迦と阿弥陀の救済対象の違いを知識として頭に入れて読まないと、解釈がおかしなことになってしまいます。衆生の機根は時代が進むにつれ、貧・瞑・痴が深まっていき機根が悪くなっていきますので、お釈迦さまと阿弥陀佛とでは、次のように救済対象が異なります。
阿弥陀佛=機根の良い衆生の救済(具体的には紀元前の衆生)
釈迦仏=五濁悪世の衆生の救済(具体的には紀元後の衆生)
『観無量寿経』にでてくる韋提希夫人は、古代インドのマガダ国(紀元前682年~紀元前185年)の頻婆娑羅(ビンビサーラ)王の王妃です。二人の間に生まれた子が良く知られる阿闍世(あじゃせ)王子です。後に阿闍世王子は提婆達多に唆され、クーデターを起こして父王ビンビサーラを幽閉し、王の身の上を気遣う母、韋提希までも王舎城から追い出して牢獄に幽閉します。
『観無量寿経』は、この時の模様に基づいて書かれた経典になります。
幽閉された韋提希は、悲と憂にやつれ、遠く霊鷲山の方に向かい釈迦仏に礼拝したという。釈迦仏は神通を以ってこれを知り韋提希の前に姿を顕します。
福聚講さんのHPで紹介されている『仏説観無量寿経』全書き下し https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/7550f786a9eb561bfc3f1358e2e738d0
お釈迦さまはご在命だったのか既にご入滅されていたのか判りませんが、
「目連は、神通力によってまるで鷹や隼が飛ぶように」
「目連尊者や富楼那尊者が神通力により空から飛んできて」
などの表現や、釈迦仏も
「お体は金色にまばゆく輝き、さまざまな宝でできた蓮の花の上にお座りになっており、左に目連、右に阿難がつきそっている。そして、帝釈天や梵天や四天王などが、空から一面に天の花を降らして釈尊を供養している。」
と表現されているところから、おそらく入滅後のお話ではないかと推測されます。姿を顕した釈迦仏は、韋提希に十六種の観法を説きます。
日本の浄土宗の宗祖は法然ですが、中国の浄土宗の第三祖とされる善導が、この『観無量寿経』が本当に伝えたいことろは「称名念仏」によって全ての衆生が救われるんだと主張しております。法然さんも善導のこの教えに共感された訳です。かくして日本の国中に、
「念仏を唱えれば極楽浄土にいってみんな幸せになれるんだ」
という安易な大乗仏教が一気に広まりました。(※安易とはいい加減なという意)
しかし、ちょっと待って下さい。鎌倉の時代って「五濁悪世の時代」ですよね。
阿弥陀佛の救済対象外ってことなんですけど・・・