「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。」
中学校の古文の授業で習う『平家物語』の冒頭の有名な言葉です。釈迦在世当時を代表する寺院であるこの「祇園精舍」でお釈迦さまは『阿弥陀経』を説かれます。
〝無問自説〟の経といわれる『阿弥陀経』ですが、お釈迦さまの大部分の説法は、誰かに尋ねられて教えを説かれるのですが、この『阿弥陀経』は誰も尋ねていないのに、いきなりお釈迦さまのほうから説き始められます。これを〝無問自説〟の経と言います。
理由は、「お釈迦さまが説きたくて説きたくて仕方がなかった内容だから、嬉しくてたまらずに自分から語り出した」というのがこれまでの解釈です。
「え! そんな理由なの?」
って思いませんか。
「究極の真理を説く仏教なのに、そんな浅はかな理由でいいんですか!」
って突っ込みたくなりませんか?
浄土宗の開祖である法然さんや、その弟子で浄土真宗の宗祖となった親鸞さんの経典解釈ってこの程度だったんです。法然さんは平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧で、比叡山で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じて〝南無阿弥陀仏〟と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという「専修念仏の教え」を説きます。
天台教学を学んでおきながら、この程度の解釈しか出来なかったということは、天台僧侶の中でも殆ど落ちこぼれだったのではないでしょうか。同じ比叡山で天台教学を学ばれた日蓮聖人から法然さんの「専修念仏の教え」は徹底的に論破されます。
で、「無問自説」の理由ですが、お釈迦さまが同行していた弟子の舎利弗に36回も呼びかけますが舎利弗は一回も返事を返しません。その理由を法然さんや親鸞さんは、次のように解釈します。
「あまりにも驚くべきことであったために、あっけにとられて言葉を発することができなかったのです!」
って、
「まじですか!」
って言い返したくなりませんか?
そんな単純な理由な訳ないでしょう。そんなだから日蓮聖人からこっぴどくやり込められてしまうんです。舎利弗が一度も口を開かなかったのは、五蘊を空じていたからです。この説法はパーリ経典に説かれる「サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想」からなる釈迦時代以前からあった「九次第定」と呼ばれる禅定で禅天に入った舎利弗が天界(色界)で聞いた説法だから、舎利弗はしゃべれる訳がないんです。
9.阿弥陀経(その②)へ続く