お釈迦さまが覚られた仏の境地というのは、言葉で言い伝える事は不可能です。何故ならば仏の世界観というのは人間の概念から抜け出たところにある世界だからです。

空を析空(此縁性縁起)でしか理解出来なかった声聞の弟子達は、お釈迦さまの「仏の世界観」の説法を聞くまでには至っておりません。なぜかと言いますと、「仏の世界観」は人間の概念から抜け出さないと聞く事が出来ない説法だからです。仏の世界である〝空観〟に禅定(色界禅定)で入っていかないと聞けない説法なのです。

三界図で解説しましょう。上座部が行う瞑想が〝人空〟であることは既にお話しました。人空で五蘊を空じて入る天上界は欲界の最上階の〝六欲天〟となります。未だ実体思想から抜けきらないでいる下根の声聞の境涯は、実体影響下にある欲界なのでその境涯で瞑想を行っても覚のは吾がの心(気づきの〝り〟)です。
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六欲界は、次の6つの天からなります。

 第6天- -- 他化自在天
 第5天 --- 化楽天
 第4天 --- 兜率天
 第3天 --- 夜摩天
 第2天 --- 忉利天
 第1天 --- 四大王衆天

第1天の四大王衆天は、四天王として有名な持国天増長天広目天毘沙門天がいる場所です。

第2天の忉利天には帝釈天、最上階の他化自在天には第六天の魔王などの有名処がそれぞれ住民としておられ、お釈迦さまの次に仏になられると言われた弥勒菩薩は、第4天の兜率天で修行をされていると仏典には書き残されています。

この六欲天は、人間としての正しい善行を積めば仏門に入らなくても転生できる天部です。昨今〝スピリチュアル〟という言葉をよく耳にしますが、仏教で説かれている禅定(禅那)以外の瞑想法でガイドや守護霊と呼ばれる天人にアクセスする手法のようですが、この瞑想法で入れるのは六欲天の領域に限られます。人間の世界に十種の境涯の差別があるように天人にも十種の境涯の差別があります。未だ欲に支配される天部の天人とのコンタクトは、古くは平安時代の陰陽師などのように呪術や占術が用いられますがマインドフルネスの人気にあやかって瞑想を取り入れた新種の心霊ビジネスのような気もします。中には本当にそのような特殊な能力を身につけておられる方も居られるのでしょうが、講習料金を設けてやっているあたりが、欲界の域を抜け切れていない六欲天のあからさまな姿ではないでしょうか。

この六欲天の上に欲から離れた色界四禅天の聖なる領域が次のような構成で成り立っております。
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中根の声聞は、四禅と呼ばれる色界禅定で初禅・二禅・三禅・四禅と段階をふんでに次第に五蘊を空じいていきます。18天からなる四禅天は、欲からは離れておりますがここでの住民は未だ自己性(我執)を持って存在しています。ですから各々にはそれぞれに名称がついています。未だ我執を備えている色界は、唯識の意識層で言えば第七末那識にあたります

続く