仏教では、真理の深さによって説かれている内容も異なってきます。深い真理を覚っていくにつけ修行者の境涯(心の階級)も次のように昇格していきます。

 実在における真理を覚った境涯=声聞
 実体を空じた真理を覚った境涯=縁覚
 自我を退治し而二不二を覚った境涯=菩薩
 全ての覚りを得た境涯=

欲にまみれた六道に対し、これら四つの聖なる境涯を仏教では〝四聖〟と言います。そしてそれぞれの境涯に至る為に説かれた教えを〝四教〟と言いまして、次のような内容になります。

 声聞に対して説かれた教え=蔵教
 縁覚に対して説かれた教え=通教
 菩薩に対して説かれた教え=別教
 仏に至る為の教え=円教

この蔵・通・別・円の四教義は、中国天台宗の智顗(538年 - 598年)が複雑で深淵なる仏教を解り易く正しく学べるように仕分けしたもので、『法華経』方便品の中でお釈迦さまが示された次の文句によるところです。

「諸の衆生類の為に 分別して三乗と説く」

ここで言う三乗とは声聞・縁覚・菩薩の三つの境涯を指して言った言葉で、一乗の仏の教えを三乗に開いて説いたという意味です。これを〝開三顕一〟(三乗に開いて一仏乗を顕す)と言います。

小乗時代の「律蔵・経蔵・論蔵」の三蔵の教えを蔵教とし、阿頼耶識へと通ずる教えを通教別相で示された三観を別教通相で説かれた円融三観を円教とする四教の内容は、次のように要約されます。

 蔵教=声聞の悟り(此縁性縁起)
 通教=縁覚の覚り(相依性縁起)
 別教=菩薩の覚り(別相三観)
 円教=仏の覚り (通相三観)

声聞と縁覚のそれぞれの覚りは『空の巻』で詳しく説明してきました通り「此縁性縁起と相依性縁起」の二種の縁起です。

この『別相の巻』では、別教で詳しく明かされた「菩薩の覚り」についてお話しして参ります。

四教の区分ですと竜樹の時代は通教になりますが、この時代にあっては俗世の凡夫(仮観)と仏道の仏(空観)といった真俗の二諦説で考えますので、
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「仏=空観(=真諦)=中道」となりますが、別教の時代に入るとその真諦である〝仏〟の内容が世親によって更に詳しく解明され、〝空観=仏〟といった考えから仏を更に空じた境涯が〝如来〟として明かされます(無色界)。おそらくそれに最初に気づいたのは龍樹でしょう。『中論』の第22章で〝如来〟についての考察が次のようになされています。

 『中論』第二十二章 如来の考察
 https://butudou.livedoor.blog/tyuuron-22.pdf

ここでは如来がどのようなものなのかを考察しているだけで、「如来の世界」までは詳しく解き明かされておりません。

通教では明かされなかった「如来の無色界の世界観」が別教において詳しく解き明かされていきます

続く


ume